2010/8/28 土曜日

「放課後」と「仕事」にこだわる訳 勉強スポーツ以外のネタが足りない

なんかこう、何かを投げられたときに、真に受けるたちで、微妙なところがわからないので
人間関係については、小学校半ばであきらめたようなところがあります。
とくにいじめられたとか、そういうのはなかったです。
自分から積極的に、関わらない様にしておりました。
女の子との複雑なやりとりは、自分にはハードルが高かったです。

中学校でも帰宅部なので、勉強するか本を読むかゲームか・・・
まあ怒られないのは勉強なので、勉強はしてましたが、
関係ない仕事についていたことが多いので、あらかた忘れてしまいました。

あとは南林間の古本屋に行ったり、図書館に行ったり、
親が病気だったこともあり、お使いにいったり・・・
文部科学省系列のもので、唯一有難く思うものは、図書館です。
思想調査など、変なデータが蓄積されていないことを希望します。

ちょっと同時代より前の、本や音楽を懐かしく思うのは、当時から人が買ったものの残り物を消費していたから?でしょう。

座間市は狭いので、図書館が1つでも、自転車で通える範囲でした。
けっして近くではありませんでしたが、坂が多いのでいい運動にはなりました。
立野台にあった生協に、自転車で10kgの標準価格米を買いに良くいきました。

中学生のとき、思い立って海老名と厚木境の相模川に釣りに行こうとして、途中顔から転んだときに誰かに助けてもらったことがありました。

貧乏人は、スポーツのかわりに、「仕事」「お手伝い」でも、良いのではないかと思います。

ただ、中学のとき親が作る弁当がおいしくなくて、一時期自分で作って持ってっていたのですが、技量と経験値の問題で、限界を感じたことがありました。
病人にあまり無理は言えなかったのですが、大人になって思えば、病気の部分とは別の要素も、あったように思います。
なんというか、団塊世代以上の人にも、「お母さん」「お父さん」がいなくて、子供のようなところが、あるように感じます。今30代女性が悪いとマスコミで喧伝されていますが、男が悪い、30代女が悪い、の最後に残るのが、一番の悪玉ではないか、と我が家では話しています。

立派でなくてもいいから、誰か大人が何かやっていて、参加してもしなくてもいいから、見たりしたりできる場所があったらよかったのに、と思います。
もし宝くじが当たったら・・・(以下繰り返し)

2010/6/28 月曜日

厚生労働省で学校を

Filed under: 厚生労働省で学校を, 産廃人間 — admin @ 13:05:20

厚生労働省で学校を←偏りの修正

教科書的理論からすべてを学べる人はごく少数、

目的から意欲が生まれ勉強すると考えますが、
すくない経験からは
不真面目な目的(大人に認められるとか、うるさいことをいわれないようにするなど)
しか生まれないのでは、と思います。

理論から学べる人は文部科学省の小中学校に通い、先生的になればよいのでしょうが

体験から学ぶ人、やってみないとわからない人には、たとえば働く人が
子供と仕事をしながら教えるというのはどうでしょうか。

体験で覚える人が先生的なものを積み重ねた結果、働けない現状があるようです。



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