「放課後」と「仕事」にこだわる訳 勉強スポーツ以外のネタが足りない
なんかこう、何かを投げられたときに、真に受けるたちで、微妙なところがわからないので
人間関係については、小学校半ばであきらめたようなところがあります。
とくにいじめられたとか、そういうのはなかったです。
自分から積極的に、関わらない様にしておりました。
女の子との複雑なやりとりは、自分にはハードルが高かったです。
中学校でも帰宅部なので、勉強するか本を読むかゲームか・・・
まあ怒られないのは勉強なので、勉強はしてましたが、
関係ない仕事についていたことが多いので、あらかた忘れてしまいました。
あとは南林間の古本屋に行ったり、図書館に行ったり、
親が病気だったこともあり、お使いにいったり・・・
文部科学省系列のもので、唯一有難く思うものは、図書館です。
思想調査など、変なデータが蓄積されていないことを希望します。
ちょっと同時代より前の、本や音楽を懐かしく思うのは、当時から人が買ったものの残り物を消費していたから?でしょう。
座間市は狭いので、図書館が1つでも、自転車で通える範囲でした。
けっして近くではありませんでしたが、坂が多いのでいい運動にはなりました。
立野台にあった生協に、自転車で10kgの標準価格米を買いに良くいきました。
中学生のとき、思い立って海老名と厚木境の相模川に釣りに行こうとして、途中顔から転んだときに誰かに助けてもらったことがありました。
貧乏人は、スポーツのかわりに、「仕事」「お手伝い」でも、良いのではないかと思います。
ただ、中学のとき親が作る弁当がおいしくなくて、一時期自分で作って持ってっていたのですが、技量と経験値の問題で、限界を感じたことがありました。
病人にあまり無理は言えなかったのですが、大人になって思えば、病気の部分とは別の要素も、あったように思います。
なんというか、団塊世代以上の人にも、「お母さん」「お父さん」がいなくて、子供のようなところが、あるように感じます。今30代女性が悪いとマスコミで喧伝されていますが、男が悪い、30代女が悪い、の最後に残るのが、一番の悪玉ではないか、と我が家では話しています。
立派でなくてもいいから、誰か大人が何かやっていて、参加してもしなくてもいいから、見たりしたりできる場所があったらよかったのに、と思います。
もし宝くじが当たったら・・・(以下繰り返し)
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