2010/9/4 土曜日

資格について

私は、一時期資格マニアのようなところがあって
色々試験を受けたり、取らせてもらったのですが、
本当は、実際に何をしたか、とか、何ができて何ができないのか、できるまでの間にどのくらいの距離があるか、を知ることや、できないことや、見えないものが、どのくらいあるかを知ることの方が、大切のように、感じます。

資格取得は、勲章のようなもので、簡単な人には簡単ですし、難しい人には難しいのですが、
実際の仕事能力とは、異なるように、感じます。

資格・学歴・その他、七面倒なものがなくても、仕事の能力的に優れた人が、
たくさんいるのを、体感しております。

私はなにをやっても要領が悪く、運転は下手、事務処理能力は不得手、書類の読み間違いは度々、その他・・・

学歴や資格、化粧で下駄を履いている部分が、誰かの生きる部分まで侵食しているのかもしれません。
私も、女性である、体が健康、資格がある、日本語が使える、などで、下駄を履いている部分が多々あると思い、申し訳なく思います。
色々やって、勉強にはなりましたが、たくさんの方に迷惑をかけてきたように思います。
できるような気になっていることも多々あります。
日常生活の、ちょっとしたことにつまづく事が、たくさんあります。
できないことを知る機会は、なかったか、ごまかしていたか、その両方か・・・

資格取得など、過熱している部分があるように思いますが、
実際に資格の先、学歴の先に、その人にあった、仕事はあるのでしょうか?

資格取得が、「貧乏くじ」になるような、世の中でもよいのでは、と思います。

もし宝くじがあたったら、
「バカを知ることができる場所」を作りたい。

日常生活の、ちょっとしたことに躓く自分を知ることができる場所、
知った上で、壁にぶつかったときに、
大人と一緒に、できるまでの距離を縮めることができる場所、
等身大の自分で、過ごせることができる場所

そんな場所があったら、と思います。

2010/6/28 月曜日

優しさ?の弊害

Filed under: 「普通」という暴力, ソフトな暴力, 産廃人間 — admin @ 13:25:52

「母子家庭を助けている」というお客さんが
「14型テレビをその子が見ていてかわいそう」といってました
 ・・・ちょっと見当違いの愛情?
    我が家も14型テレビですが
    14型テレビを見てはいけない、という風潮になったり
    14型テレビがつかえなくなるような法律ができる方が
    かわいそうなのでは?

こんななかで
「ベンツで滞納」「モンスター親」は当たり前

主人と子供が小学校の説明会にいったとき、
階段で自分の子供が転んでいても助けないお母さんがいたそうです
起こしてあげたら、
携帯打ちながら「〇〇ちゃんこういうときはありがとうっていうんでしょう」
といっていたそうです

実質を問われない「地位や名誉」だけの記号だけでのやりとりの中で
「立派になるために」、消費することを強要される世の中

立派な
学校に行き
就職をして
結婚をして
家を買い
車を買い・・・いったいなにが残るの?

「普通」という暴力~ないものを求めるのは、やめてほしい

先日いらした先生が、普通は運動会に親がくるものだ、みたいなことを
おっしゃっていたそうですが・・・
何かことがあるたびに、お兄(姉)さんか弟(妹)がいたら~とか、
お父(母)さんがいたら~とかいうあれは、もう勘弁してほしい。

2010/5/25 火曜日

学校は「ひとりぼっち」をつくる場所

子供の運動会。

朝、先生が、「運動会にお父さんお母さんがこない人?」と
たずねたところ、手をあげたのはうちの子一人。

弁当の時間。
幸い、〇〇くんが「いっしょにたべようよ」と
声をかけてくれたそうです。

その後、先生(女の人)から
「先生が一緒にたべてあげようとおもったのに」といわれたそうですが・・・
悪気はないとおもいますが
手をあげさせた、朝の時点で、そうおっしゃっていただければ・・・
(悲しい思いをするのも、良い経験ですので、
一概に否定はしないのですが)
なんか、女の人って、こういうところが、あるように思うのです。

最近、女の人から
人間関係で仕事を辞めた、という話を聞くことが多いのは
こんなところにもあるのでは?

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